ジェレミー・ドロンフィールドがノンフィクションを書いた。
その知らせを最初に聞いた時、自分の聞いたことが理解できなかった。私にとってジェレミー・ドロンフィールドという作家は、『飛蝗の農場』という、異様な迫力を持った怪作にして傑作の作者であり、あの本からこれでもかと発せられている、物語を語りたいという過剰なほどの熱にあてられた者としては、ドロンフィールドが自分の創り上げた物語世界を披露するのでなく、実際に起こった出来事を描くノンフィクションを綴る姿が想像できなかったのだ。
しかし実際にドロンフィールドが書いたノンフィクションである本書『アウシュヴィッツの父と息子に』を読んだところ、納得がいった。足を踏み入れた者にはただ死が待ち受けるのみと思われていたアウシュヴィッツに父親グスタフが送られる。その知らせを聞いた息子フリッツが、自分も一緒にアウシュヴィッツ送りになることを選ぶ。この驚くべき実話を、ドロンフィールドは丹念に参考資料にあたりながら書いている。注釈を読めば、ある時は特定の日の月の形までを調べ、ある時は一致しない証言から最も事実である可能性の高いものを選び、一つの文章、一つの台詞を書くのに著者が多大な労力を注いでいることに気づかされるだろう。たとえ自分が作り上げたものでなくとも、物語を語りたいという熱は間違いなく本書からも発せられている。それも、グスタフとフリッツ、ふたりだけの物語では、これは決して、ない。母ティニ、姉エーディトとヘルタ、弟クルトという一家ひとりひとりの物語であるし、収容所で親子と出会い助け合いながら生きた人々、彼らを苦しめた人々、生き延びた人、生き延びられなかった人、他人を助けた人、死に追いやった人、裏切った人、誠実であり続けた人、いくつもの人生の物語である。『飛蝗の農場』や『サルバドールの復活』のように、一つの大きな物語を築くのにいくつものエピソードを積み重ねていく作家であったドロンフィールドが、このようにポリフォニックな物語として本書を書いたのは、必然だったと言えるだろう。
希代の物語作家が心血を注いで書いた一冊である。作家の想像力が創り上げたものでないというとことが悲しくなるほどの残忍さと、命を危険に晒されている中で他人に手を差し伸べる優しさと。人間の両極端の姿を、作家の筆は鋭く描き出している。
これはかつて起こってしまったことであり、今なお形を変え場所を変え、世界で起こっていることなのだ。
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