このシリーズが好きだ。
本書は『黒猫を飼い始めた』に始まる講談社刊行のアンソロジーシリーズの第四弾である。アンソロジーのテーマはいずれも、最初の一行が共通しているということ。その共通する最初の一行が各巻のタイトルになっている。つまり本書に収録されている掌編はいずれも「だから捨ててと言ったのに」という一行から始まる。しかし二行目から展開される物語は、書き手の個性のあふれる独自のものばかりだ。
ここでは本書からお気に入りを三編紹介してみようと思う。
「だから棄てゝと云ったのに」伊吹 亜門
堕落した生活を送る天才小説家、黛千鶴を殺した「私」。彼女の死を事故に見せかける偽装工作はしかし、ほんの小さな過ちから見破られる。
七ページ足らずのボリュームで、さりげなく手がかりを提示し、ミステリーとして「なるほど確かに」と膝を打たせる。だが本編がすごいのは、それに飽き足らず、女學院時代にその才能を見出した千鶴を支えてきた「私」の愛憎を克明に描いているところだ。読後、端正なミステリーと愛憎のドラマを同時に読んだような気持ちになる満足度の高い一編。
「こわくてキモくてかわいい、それ」背筋
死んでしまった壮太くんと仲が良かった聡子ちゃんに、「私」は「こわくてキモくて、でもちょっとかわいいやつ」の話を聞いたことがあった。それを一緒に飼おう、と。
怪談は、すっきりしないのがいい。本編では、死んでしまった壮太くんや、様子のおかしくなってしまった他の子たちに、一体どんなことが起こったのかが説明されるわけではない。「こわくてキモくてかわいい、それ」がどんな存在だったのかも、聡子ちゃんの書いていた言葉の意味も、わからない。そこがすっきりしなくて、こわくて、いいのだ。
「猟妻」谷絹 茉優
珍しいものを蒐集せずにはいられないという癖のある妻。彼女は壊れたものまで決して捨てようとしない。車椅子生活を送る小説家の夫は、やがて恐ろしい真実に気づく。
妻の奇妙な癖の真の形が静かに明らかにされていき、余韻を残す一行で締めくくられる、見事な一編。恥ずかしながら著者の名前に聞き覚えがなかったので巻末のプロフィールを見たところ、Chevonというバンドのボーカルをしているという。バンドの楽曲の作詞を手がけているので、そこでこの人の独自のセンスに触れることができるのだが、もっと本編のような小説も読んでみたいところ。
このシリーズが末永く続きますように。
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