夜になるまえに

本の話をするところ。

会ったことのない人をなつかしむこと「八本脚の蝶」

 

 「これから泳ぎにいきませんか」という、なんとも謎めいて魅力的なタイトルの本がある。穂村弘による書評集だ。読んでいると、このタイトルが、ある人物から実際に投げかけられたことばであることが判明する。その人と穂村は、夕食を食べながら仕事の打ち合わせをしていた。

終わりがけに突然、テーブルの上に水着が飛び出してきた。
「これから泳ぎにいきませんか」
 ええ? と思う。時刻は夜の十時を回っている。その唐突さに異様なものを感じた。
『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』(p.170)
及び『八本脚の蝶』(p.554)

 この人物こそ、当時編集者だった二階堂奥歯である。そして彼女がオンラインで綴った日記を本の形にしたものが本書『八本脚の蝶』である。
 彼女は語る。買い物について、写真展について、ぬいぐるみについて、そして何よりも、本について。おそろしくたくさんの本を、彼女は読んでいた。無数に思われるそれらの本からの引用が、この本の少なくないページを埋めている。そんなにもたくさんの本に彩られた日常。数行で終わったり、数ページに渡ったりする一日の日記を、何日分か読み終えてから眠りに落ちる、という日を何日も続けた。はっとするようなうつくしさに満ちた文章がある。どこか頭の深いところへと降りていくような、冷静な思考を綴った文章がある。終わりに近づく部分の文章は、読んでいるこちらの心が切り裂かれるようだ。この人が、ほんとうにいた。少し前まで。この日記を読んでいて思わずにはいられなかった。この人と会って、話をしてみたかった。だってこの日記を生み出した知性が、感性が、こちらの言葉に反応して動き、言葉を形作るのを目の当たりにすることは、どんなに特別な体験だっただろう。あらすじにはっきりと書いてある理由によって――二十五歳の若さで自らこの世を去った――それは叶いようのない願いである。
 日記を読む、という行為は、その日記を書いた人を本にしてしまうことだ、と思う。もう決して会うことができない人が、その日記を読めば、本として、この世界にいる。だから、一度も会えなかった人をなつかしむことが、私たちにはできる。私は、二階堂奥歯がたまらなくなつかしい。

 

紙の本はこちら↓

www.e-hon.ne.jp

 

「八本脚の蝶」は現在でもオンラインで読むことができる。

※自殺についての記述があります。

oquba.world.coocan.jp