のんびりしたいなあ、という時がある。わりとしょっちゅうある。
そういう時に読みたいのがエッセイだ。それも短い話がいくつも入ったものがいい。それが食べ物についての話だとなおいい。食べ物の話を読むと何か食べたくなるし、何か食べなくなるということは食欲がわくということで、のんびりしたいなあ、と思う時というのは、忙しかったり気分が下を向いていたり何かうまくいかないことがあったりして、元気がない、すなわち食欲がない、という時が多いからだ。
そんな時に私が手に取るのがこの「おいしい文藝」シリーズである。毎回一つの食べ物をテーマに、いろいろな書き手が書いたエッセイを集めたもので、一つのエッセイはだいたい十ページ以下だ。これこれ。これです。私が求めていたものはこれ、と、さらさらと読む。
今回取り上げる『ひんやり、甘味』のテーマは冷たいお菓子だ。書き手には千八百年代生まれの人までいる。どんな家にも冷蔵庫があって氷がお手軽に手に入る今とは、冷たいものに対する意識がまるでちがうような時代に生きた人の話を興味深く読む。一八九三年生まれの獅子文六が語るのは氷水についてだ。かき氷、のようでいてすこし違うらしいそれは、「氷をカンナにかけて削ったものに、砂糖水をかける」(p.六九)ものであるそうで、それだけ聞けばかき氷なのだが、食べるのではなく飲むそうだ。夏に来客があれば氷水屋に出前をたのんだ、という。家を訪ねてきた人と一緒に甘い氷を飲む。なんだかいいなあ、と思う。それは、今では失われてしまった光景だ。宅配サービスでかき氷をたのむことができたとしても(できるのかな)、私たちにとってのかき氷は、獅子文六の世代の人々の氷水とは、まったく意味が違っているだろう。
現在進行形の話で気になったのは、馳星周「マンゴープリンの放浪者」である。たった一度めぐりあった至高のマンゴープリンを求めて香港を彷徨う馳星周。その後、あのマンゴープリンとの再会は叶ったのだろうか。どうなんでしょう馳先生。