夜になるまえに

本の話をするところ。

シスターフッドが生まれるとき「アレグリアとは仕事はできない」

 シスターフッド、という言葉を最近よく聞くようになった。コトバンクには「姉妹。また、姉妹のような間柄」「ウーマン・リブの運動の中でよく使われた言葉で,女性解放という大きな目標に従った女性同士の連帯のこと」という定義が並ぶ。
 

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 「アレグリアとは仕事はできない」に収められた二編はいずれもシスターフッドの物語である、と言うことができると思う。表題作では同じ会社に働く二人の女性の、そして「地下鉄の叙事詩」では同じ電車に乗り合わせた名も知らぬ二人の通りすがりの女性の間のシスターフッドが描かれている。
 「姉妹のような間柄」「女性同士の連帯」と定義されるシスターフッドだが、それはあたりまえのようにそこに「ある」ものなのだろうか。違うだろう。「アレグリアとは仕事はできない」において、主人公ミノベとトチノ先輩は、共に同じ仕事に従事して雑談もかわす間柄だが、二人の間にあるものが最初からシスターフッドであったとは言いにくい。偉い人の前では働き、メンテナンスを呼べば問題なく動く、気まぐれなアレグリアという名の機械にふりまわされるミノベとトチノ先輩は、同じ境遇ではあるが対処法が違う。アレグリアの問題点を調べ、どうにかちゃんと仕事をさせようとするミノベに対し、トチノ先輩は「あんまり考え込まないほうがいいよ。たかがコピー機なんだし」(P.34)というスタンスである。後に自ら語っているが、「男の人たちはあれが便利だってべた褒めするし。わたしもそっち側に立たないとって思った」(P102)からこその身の処し方だろう。「アレグリアとは仕事はできない」には、たとえば男性上司からのセクハラだとか、女性ゆえに昇進できないとか、はっきりとした男女差別のエピソードが描かれているわけではない。しかし、にもかかわらず男女差はそこに確かにある。トチノ先輩は「親切で」掃除をしに行くし、アレグリアがお払い箱になるのはミノベが散々その問題点を指摘した後ではなく、「本当に」動かなくなってから、それまでアレグリアをべた褒めしていた男性社員たちが困るようになってからだ。そこにある問題を見なかったことにできないミノベと、波風を立たせないように身を処するトチノ先輩は決して仲が悪いわけではない。けれど、二人の間に共感はない。それが初めて生まれるのは、トチノ先輩が機械からする甘いにおいが好きだったと告白するところだ。それを聞いてミノベはこう思う。
 

 わたしもその匂いが好きでした。けどそんなことを言うと変な顔をされると思ってた。こんなところでその話をするのが残念です。本当に残念です。(pp.105-106)

 

 「同じところ」が二人には確かにあったのに、それについて話をすることができなかった。「本当に残念」なのはそこなのだ。そして涙ぐむミノベを見るトチノ先輩にそれはきっと伝わっている。

「地下鉄の叙事詩」において、ミカミはどうも痴漢行為をされているらしき女の子シノハラに、かつての自分の姿を重ねて共感する。しかしシノハラはそれを知らない。二人の間にシスターフッドが生まれるのは、物語の終盤、ミカミが「大丈夫」とシノハラに(口の動きで)語りかけるところだ。

 大丈夫、わたしは電車の中で何があったのか見たけど、あなたの悪いようには絶対に言わない。(P.200)

 一方的な共感ではシスターフッドにはならない。シスターフッドと呼ばれるものが生まれるのは恐らく、女性ゆえの困難に遭った誰かに向かって、他の女性が「あなたの気持ちがわかる」「わたしはあなたの味方である」と言い、言われた側が「わたしには味方がいる」と「理解」した時だ。そういう優しくて強い繋がりが生まれるときを、この二編は描いている。

 

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