夜になるまえに

本の話をするところ。

next best thing「税金で買った本」

 next best thing、という言葉が英語にある。「税金で買った本」の六巻を読んで思い出したのはその言葉だった。
 「税金で買った本」は、好奇心旺盛で「気になるから」といろいろなことを知りたがる石平少年が、アルバイト先の図書館で出くわすいろいろな出来事や人々を描く漫画である。
 第一話で、石平少年は図書館で貸出カードを作ろうとする。しかし子どもの頃に借りて長期延滞になっている本があり、それが理由でカードを作ることができない。図書館職員の早瀬丸さんに弁償を求められた石平少年は、納得がいかず彼女に向かって怒鳴り散らす。
 その後いろいろあって図書館でアルバイトをすることになった石平少年は、女性職員に向かって怒鳴り散らす老人に対する反応から、早瀬丸さんが怒鳴られるのが苦手なのではないかと気づき、彼女にこう言う。

 

 だからあの....初対面で俺めちゃくちゃ怒鳴ったのあの/ごめん….いやずっと根にもっててもいーけど…./なんか….謝っときたいと思って(p.172)
 

 ああ、この言葉。これはnext best thingだ。
 next best thing の定義はこちらにある。「正確にはほしいものではないのだが、可能な限りそれに近いもの」だ。
https://www.ldoceonline.com/jp/dictionary/the-next-best-thing
 誰かに対して怒鳴り散らす人は、自分の非を認めようとはしない。場合によっては、形だけ謝罪して、けれど真に反省することはなく、同じことをくり返す。怒鳴られる方は、謝罪されなかった記憶を抱えて疲弊していく。そういうことはある。間違いなく、ある。
 早瀬丸さんが抱えている記憶がどういうものなのかは、現時点ではわからない。恐らくは過去に何か、原因となるような出来事があったのだろう。彼女に向かって怒鳴る誰かがいたのだろう。そしてその誰かは、彼女に謝ることはなかった。それは石平少年の謝罪を受けた後の彼女の言葉から察せられる。

 ....なんて言ったらいいかわかんないな…./そんなの….言われたことなかったから(p.172)

 石平少年が怒鳴られるのが特別に苦手な人に対して怒鳴ってしまったこと、それを反省して謝罪することができたこと、それがnext best thingであるのは、当然ながら、彼がそもそも怒鳴ったりするべきではなかったからだ。
 謝られた早瀬丸さんは、石平少年を「許す」ことをしない。誰かに(恐らくは継続的に)怒鳴られた経験がある彼女が、新たに自分を怒鳴った相手から謝罪を受けても許しの言葉を口にしないこと、あるいはそれもnext best thingと言えるかもしれない――たとえフィクションの登場人物だとしても、私は彼女にそんな傷を抱えていてほしくなかった(これは当然ながら、そんな傷を抱えた人物をフィクションに登場させるな、と同じ意味ではない)。しかし彼女は実際に傷を抱えていて、そして安易に加害を水に流したりはしない。
 ここでnext best thingではなくbest thingと言えるのは、この漫画が、「加害者に対する『許し』を被害者が与えない」場面を描いていることだ。謝罪を殊更に評価する必要も、それを受け入れる必要も、ない。石平少年の言葉を借りれば、ずっと根にもっていていいし、そもそも根にもつ・持たないを加害者に許可される筋合いなどない。そしてもちろん、「なんて言ったらいいかわかんない」、それでいい。すぐに返事ができなければならないわけではないし、嫌なら返事などしなくたっていいのである。この漫画がこのすっきりと終わらない場面を描いてくれたことに、私はどこか救われている。

 

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