夜になるまえに

本の話をするところ。

君は何も悪くない”A Monster Calls”(「怪物はささやく」)

 頑張れば夢は叶う。努力は必ず報われる。悪人にはきっと罰が当たる。善人は幸運に見舞われる。
 ……と説くような物語が嫌いだ。頑張っても夢が叶わず、どんなに努力しても報われず、悪人が大した罰も受けずにのほほんと生きのび、善人が不運に見舞われて貧する。現実がそんな具合なので、ある人が得たものが、そこに至るまでその人がどれだけの労力を注いだか、どんな善良な、あるいは悪辣な行為を行ったか、によって決定されるのだという考えが、ほとんど本能的に嫌いだ。
 “A Monster Calls”(邦題:「怪物はささやく池田真紀子訳)は、まったくそのような物語ではない。
 主人公の少年コナーは、あまり幸せとは言えない。両親は離婚し母親と共に暮らしているが、その母親は重い病気にかかっている。学校では母親が病気であることが知られていて、腫物のように扱われる。そんなコナーの元に、ある夜、怪物が現れる……。
本作には、怪物はイチイの木の形をしており、イチイの木からは薬ができる、というくだりがある。そうくれば、恐らく読者は思うだろう。きっと怪物は何か不思議な力を持った薬を作ってくれて、コナーの母の病気は癒えるのだろう、と。そう思ってもおかしくはない。なにせ頑張ればなんとかなる、と信じ込ませようとする物語が、巷にはあふれている。
しかし、「魔法の薬で母親の病気を治す」とは程遠い、きわめて現実的なやりかたで、本書はコナーに手を差し伸べる。いい人にはいいことが起こる、なんてことは、ない。いい人だって、病気になる。病気になって、頑張って、必死になって、治療をしても、病気に勝てないということは、それは現実に、起きる。頑張ればなんとかなる、なんて嘘だ。そしてそれが現実に起きたとして、それはその人の行いが悪かったとか、治療に傾ける努力が足りなかったとか、そういうことを意味するのではない。絶対に、ない。ちがう。ちがうよ。君のお母さんも、それからもちろん君も、何も悪くなんてない。お母さんは病気になんてなりたくなかったし、君を怖がらせたり悲しませたりしたくなかったし、どうにかできるのなら何をしてでもどうにかしていた。それでも、人の願いでどうにかならないことは、世界にはいくらでも、ある。悲しいことに、ある。どうしたって、人はそういうことを経験していかねばならない。
それはあたりまえの話で、それでもきっと、改めて語る価値のある話だ。本書はつまるところ、このあたりまえの話を、それを必要としているひとりの子どもに理解してもらうまで語り続ける、そういう物語なのだと、私は思う。

 

本書の邦訳には二つのバージョンが存在する。

※翻訳はどちらも池田真紀子さん。

 

あすなろ書房

こちらは単行本版。英語版のペーパーバッグ版でないバージョンのサイズに近い。

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東京創元社

こちらは小さくて持ち運びやすい文庫版。

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ちなみに映画版も存在する。コナー役のルイス・マクドゥーガルがなんといっても素晴らしい。

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