夜になるまえに

本の話をするところ。

シヴォーン・ダウドを知っていますか

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シヴォーン・ダウドについて
 

 シヴォーン・ダウドは一九六〇年に生まれ、二〇〇六年に” A Swift Pure Cry”でデビューした。このデビュー作は一九八四年のアイルランドを舞台に、母を亡くし、酒浸りになった父のかわりに弟妹の面倒を見る少女Shellが、若き神父と精神的な絆を育み、幼馴染の少年Declanと親しくなっていくが、Declanがアメリカに去った後妊娠していることが判明する、という物語だ。
 

www.davidficklingbooks.com

 

ロンドン・アイの謎

 カーネギー賞の候補にもなった” A Swift Pure Cry”で高い評価を受けたダウドが次に刊行したのが「ロンドン・アイの謎」だった。人の気持ちを理解するのが苦手、でも優れた頭脳を持つ十二歳の少年テッドが、ロンドン・アイから姿を消したいとこの少年の行方を探すこの本もまた、高く評価される。
 (この本についてはこちらにレビューを書きました)
 

store.tsite.jp

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 しかし「ロンドン・アイの謎」の刊行からまもない二〇〇七年八月、ダウドは乳がんのため死去してしまう。そして生前書き上げていた本が、死後に出版されていく。次にあげる三冊がそれだ。

 

ボグ・チャイルド


 一九八一年、北アイルランド。ある日ファーガスは泥炭に埋もれた少女の遺体を発見する。大昔に死んだ彼女の遺体には、殺された痕跡があった。彼女は何者で、なぜ殺されなければならなかったのか――メルと名付けられた彼女の物語と、紛争と無関係ではいられない土地に生きるファーガスの物語が交錯する。
 
 ファーガスは、普通の少年でありたい――家を出てイギリスで勉強するという将来のかかった試験に悩み、自分の発見した大昔の少女の遺体の調査に来た学者の娘コーラと恋に落ちる、普通の少年でありたい。けれどできない。ファーガスの前に立ちはだかるのは、一人の少年にはどうにもできない大きなものだ。それは人と人との根深い争いであり、彼にできるのはその争いからできるだけ距離を取るくらいだ。しかし、避けようとしたところで争いは否応なく迫ってくる。兄のジョーはアイルランドの独立を目指す運動に加わり獄中にいて、死につながるハンガー・ストライキを始める。ファーガス本人にも運動と関係があるらしき人物から声がかかる。そんな中で、ファーガスは国境の向こう側にいる若い兵士と言葉を交わして親しくなっていく。かつて、つかの間ではあってもメルと彼女の愛する人が心を通わせたように。
 ボグ・チャイルドの夏は、あまりにも大きな、なかったことにはできない変化を、ファーガスにもたらす。メルの生きた時代から、一九八一年、そしてもちろん、現在に至るまで、人は変わらず争いをくり返し、変わらず人と――時に敵対する者とも――絆を結んできた。争いを望まず、それでも争いの渦中にある者として、好もうと好むまいと、ファーガスはこの夏に体験したことを抱えて生きていくしかない。

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サラスの旅


 ロンドンの施設で育った十四歳の少女ホリーは、里親の家で見つけたウィッグをつけてみる。するとそこにいるのは怖いもの知らずの年上の女の子、サラスだった。ホリーはサラスとして、幼い頃に別れた母親が待つアイルランドに向かうヒッチハイクの旅に出る。

 サラスとしての旅の途中、ホリーはいろいろな人に出会う。彼女を家に連れこみ、本当の年齢を知って家から叩き出した男、彼女が誕生日だと知るとケーキを買ってくれた菜食主義者のトラック運転手、名前も聞かなかったバイクの少年……だが、彼女の道連れは実際に旅の途中で出会った人たちばかりではない。施設で親しくしていた粗暴な少年トリム、モデルになりたがっている少女グレース、大事に思っていたケアワーカーのマイコ、そして幼い頃別れたきりの母親とその恋人デニーが、まるで幽霊のように彼女についてくる。現実の人々の出会いと別れをくり返しながら、ホリーは実際にはそばにはいない幽霊たちを見る。実際にそばにいるわけではなくても心の中にいる、そんな人たちがどこに行こうとついてきてくれることは、決して悪いことではない。しかしそれは、時として、別れるべき相手と別れられていないことを意味する。そして誰かと別れるべきだということを知るには、長い時間がかかることもある。
 この物語は、言えなかったさようならを言えるようになるまでの物語だ。そして言うべき相手にさようならを言うことは、一歩前に進むことなのだ。

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十三番目の子

 イニスコール島には言い伝えがある。ひとりの女が生んだ十三番目の子は十三歳になったらいけにえに捧げなければならない。そうすれば島には十三年の繁栄が約束される――いけにえになるべくして育てられた「十三番目の子」ダーラは明日、十三歳になる。

 

 シヴォーン・ダウドの作品の主人公は、子どもである。それも、自分にはどうすることもできない何かのために苦しむことになる子どもである。

 本作の主人公ダーラもそうだ。ダーラの場合、「十三番目の子」であるというだけでいけにえになるという運命を押しつけられている。当然のことながら、彼女には何の罪もない。しかし彼女の周りの世界は、何の罪もない子どもである彼女を殺そうとする。

 そういう立場に置かれた子どもたちに対する作家ダウドの姿勢は一貫している。そのように子どもたちを苦しめてはいけない。そんなのはまちがっている。しかしまちがっている世界を、その子たちのために魔法のように変えてしまう力は、人間にはない。それでも、自分を傷つけるものを後にして、新たな世界に向かって旅立つことは、きっとできる。

 ダウドが遺したこの物語を読みながら、私が思ったのはそんなことだった。

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THE PAVEE AND THE BUFFER GIRL

 ダウドがレイシズムについてのアンソロジーに寄せた中編小説。出版された初の作品となる。ダウドの死後の二〇一七年、Emma Shoardのイラスト付きで書籍化された。Paveeと呼ばれるアイリッシュ・トラベラーの少年ジムが学校に通い始めるが、教師も生徒も偏見から彼に酷い言葉を吐き、それは暴力に発展する。ただひとり、少女キットが彼の友だちで、読むことを教えてくれた。街に居場所を見つけたように思えたジムだったが、毎日繰り返される偏見と衝撃的な暴力に、ふたたび生活の基盤を揺るがされる。

 

 アイリッシュ・トラベラーについてはこちら。

 

アイリッシュ・トラベラーのコミュニティは歴史的にアイルランド島の漂白民の生活様式を含む歴史、文化、伝統を共有する人々と(かれら自身によって、また他の人々によって)アイデンティファイされた人々のコミュニティであると定義されてきた。ここには定住地に暮らすトラベラーたちも含まれる。

The Irish Traveller community has been defined as “a community of people….who are identified (by themselves and others) as people with a shared history, cultures and traditions, including, historically, a nomadic way of life on the island of Ireland". This includes those Travellers who live in ‘settled’ accommodation.

 

www.education-ni.gov.uk

 

出版社のページはこちら。試し読みもできる。

www.barringtonstoke.co.uk

 

怪物はささやく

 

 シヴォーン・ダウドが遺したアイデアを元に、「混沌の叫び」シリーズや「まだなにかある」が日本でも翻訳されているパトリック・ネスが完成させた小説。J・A・バヨナ監督によって映画化もされた。本作についてはこちらをどうぞ。

 

arimbaud.hatenablog.com

あすなろ書房版↓

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東京創元社版↓

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グッゲンハイムの謎

 

 「ロンドン・アイの謎」で活躍したテッドとその姉カットなど、おなじみの面々が今度はグッゲンハイム美術館から盗まれた絵の謎を解くべく奔走する。テッドたちは、盗難の疑いをかけられたグロリアおばさんを救うことができるのか?

 ダウドの死後、シヴォーン・ダウド基金からの依頼で「お嬢さま学校にはふさわしくない死体」などのロビン・スティーヴンスが完成させた続編。またテッドに会えるだけで十分うれしいのだが、一人一人容疑者の話を聞いて除外していくところはアガサ・クリスティー風、更に読者への挑戦のような一言も飛び出してミステリーファンとしてはにやりとしてしまう。

 しかし一番重要なのは最後の一文だと思う。この最後の一文が読めて、本当によかった。

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「ロンドン・アイの謎」「グッゲンハイムの謎」を入口に、シヴォーン・ダウドという素晴らしい作家の他の本にも光が当たりますように。