夜になるまえに

本の話をするところ。

取り上げられた卵を与えてくれるひと「作りたい女と食べたい女」

あらすじ

 野本さんは料理を作るのが好き。でも一人暮らしで小食なため、作りたいようには作れない。ある時野本さんは、隣りの隣りに住む春日さんがとってもたくさん食べる人だということを知る。食を通じて、二人は親しくなっていく。

 

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野本さんにとっての春日さんー「わたし」を見てくれる人


 世界はあなたに言う。女性が料理を作るのは男性のためだと。料理の作れる女性はいい母親になれると。女性の気になる相手は男性だと。女性はたくさん食べないものだと。女性は男性より価値のないものだと。
 そして「『みんな』そうしてるし…」(2巻p.104)という感覚で、たいていの人が世界の言うことを聞く。けれど野本さんは違う。男女の恋を謳う雑誌を手にするもそれに共感できない十代の野本さんが安らぎを覚えるのは、子どもの頃に読んでいただろう絵本「しばくんとわんくんはきょうもいっしょ」だ。その表紙のデザインは、色違いのチョッキ、片方が帽子をかぶっている、といった特徴がアーノルド・ローベル「ふたりはいっしょ」を思わせる。これは言わずと知れた「がまくんとかえるくん」シリーズの一冊だ。ローベルは四十代になってからカミングアウトした同性愛者であり、「がまくんとかえるくん」には同性愛者を思わせる面があると言われることもある*1。そして「がまくんとかえるくん」を思わせる「しばくんとわんくんはきょうもいっしょ」に共感を覚えていた野本さんは、後年レズビアンという言葉に出会う。しかし自分を表していると思しきその言葉をインターネットで検索すると、出てくるのはレズビアンを男性の性の対象として消費しようとする言葉、あるいは「本当に好きな人と出会っていないだけ」などとレズビアンの存在を消そうとする言葉である。あくまでも世界は、野本さんを「女性は男性と恋をするもの」であるという型にはめようとする。
 しかし、春日さんはちがう。第4話「この世に同じ女はいない」において、重い生理に苦しむ野本さんを見舞う春日さんは、「しんどいばっか言ってないで私も春日さんみたいに強くならなきゃね」と言う野本さんにこう返す。

 

 「無理なときはどうやっても無理だと思いますよ(中略)そのままでいいいですよ/同じ女なんていないんだから」(1巻p.70)
 
 また、後に二人でクリスマスを過ごすことになり、料理にまつわるものを野本さんへのプレゼントにしようかと売り場を物色した時も、春日さんは結局買うのをやめている。

 

 「プレゼントは直接ほしいもの聞こう」

 「『野本さん』がほしいものを」(2巻p.100)

 

 彼女は野本さんを「女性だから」「料理好きだから」という型にはめようとしない。野本さんを他の誰とも違う一人の人間として見て、尊重してくれる。

 春日さんは、野本さんが体調を崩した時に必要なものを差し入れ、鍋焼きうどんを作ってくれる。野本さんはそれを一人食しながら、思う。

 

 私は/あなたが目の前に現れてくれて/自分はどうしたいのか知ることができたから/誰かが納得しなくても/私は/女のひとを好きになっていいんだ/春日さんを好きになっていいんだ

 

 自分とは違う形をしている型にはめようとする世界に馴染むことができなかった野本さんは、自分を尊重してくれる春日さんに出会って、自分自身を尊重することを学ぶのである。

 

春日さんにとっての野本さんー卵をくれる人

 そして春日さんにとっての野本さんも、自分を尊重してくれる人なのだ。

 第2話「唐揚げ定食とカレー」で、定食屋で唐揚げ定食を注文した春日さんは、同じものを頼んだ男性客より少ないごはんを出される。これは店主の「女性だからそんなに食べないだろう」という悪気のない(しかし迷惑な)判断によるものである。その時春日さんの脳裏をよぎるのは自分が生まれ育った家の食卓の風景だ。

 第11話「My chosen 1」第12話「My chosen 2」で彼女は語る。

 

 「私の実家/不出来なものや小さいものは母や私の分で/父や長男だけおかずが多いとか/そういう家だったんです」(2巻p.28)

 

 「成長するとともにだんだんと/食事に差をつけられることも/父が弟に分けたものをねだったら叱られたことも(中略)家族の中になぜ序列があるのか/疑問に思うようになりました」(2巻pp.32-33)

 

 このように男尊女卑の空気の濃い実家で育った彼女にとって、「女性だから」とごはんの量を減らされることは、かつての傷を抉られることだ。しかし、その夜、帰宅途中の彼女を野本さんが呼び止める。そして彼女が振る舞ってくれるのが、大きな皿にあふれんばかりに盛られたカレーライスである。

 ここで、野本さんが最後の仕上げに、カレーの上に温泉卵を載せるところに留意されたい。春日さんが実家で弟と食事に差をつけられたことを語る時のコマに描かれているのはハンバーグである。ではどこで差がつけられていたのか。よく見ると弟のハンバーグには目玉焼きが載っているが春日さんのハンバーグには載っていない。「女性だから」と取り上げられた卵を、野本さんは春日さんに振る舞ってくれるのだ。

 その豪華なカレーライスを目の当たりにした春日さんは、野本さんに訊ねる――まるで自分の食をないがしろにしない人の存在が信じられないかのように。

 

 「…本当に私が食べていいんですか?」(1巻p.41)

 

 それに対する野本さんの答えはこうだ。

 

 「食べてほしいんです!」(1巻p.41)

 

 そして二人が食を通じて親しくなった後、実家の話をする春日さんは、「今も家を出るまでの分を取り返すように食べているのか」と野本さんに訊ねられ、「いえ…」と返す。

 

 「野本さんと出会って…「食べたい」を受け入れてもらえたから/今はずいぶん…前より楽です」(2巻P.39)

 

 その時彼女が思い出すのは、あの時野本さんが振る舞ってくれた、温泉卵が載った大盛りカレーライスだ。「女性だから」と食をないがしろにされてきた春日さんが出会った、「たくさん食べる自分」を受け入れてくれる人。受け入れてくれるだけでなく、「たくさん食べる」ことを喜び、「たくさん食べる」様子をいつも幸せそうに見てくれる人。それが野本さんなのである。

 

 卵はその後もしばしば二人の食卓に登場する。野本さんが作った「卵8個と米4合も使っちゃった」(1巻P.45)オムライスや、飲み会帰りの春日さんに差し入れたタッパー入りの煮玉子、15話の魯肉飯風ごはんにもよく見れば半熟ゆでたまごが添えられている。実は煮玉子を差し入れる6話で、夜食と朝食だけで煮卵6個を平らげてしまった春日さんを見て、野本さんが「…たまご好きなのかな?」(1巻P.103)と(口には出さず)思うところがある。つまりこれ以降、野本さんが卵を料理したり、料理にトッピングしたりする時、彼女は春日さんのために、春日さんの好物を食卓に出しているのである。これは食を通じた愛の形だ。そしてそうと知ってか知らずか自分のために出されている卵をいつもおいしく平らげる春日さんは、風邪を引いた野本さんに鍋焼きうどんを作ってあげる時、仕上げとばかりに卵を割り入れる。まるでもらった愛情を返すかのように。そして快気祝いに二人でローストビーフを食べる時、野本さんは春日さんにローストビーフ丼をすすめる。テーブルの上を描いたコマには野本さんのための丼は出ていない。小食の彼女はローストビーフと付け合わせの野菜でワインを飲んでいるようだ。つまりローストビーフ丼は春日さんのためだけの特別なメニューである。とどめのように野本さんは言う。

 

 「たまごものせましょうね」(2巻P.135)

 

 かつて「女の子だから」と食を奪われた春日さんが、今は野本さんに「春日さんだから」と自分のためだけの料理を作ってもらい、欲しかった卵をもらっている。「作りたい女と食べたい女」はそんな幸福な物語なのである。

 

 

*1:たとえばこちらの記事でローベルの娘がそう語っている。

https://www.newyorker.com/books/page-turner/frog-and-toad-an-amphibious-celebration-of-same-sex-love