ラブストーリーはどこで終わるのが「正解」なのだろうか?
ライバルやすれ違い、その他の障害を乗り越え、波乱万丈の末に、好き合っているふたりの想いがお互いに通じ、ふたりは今や両想い、めでたく恋人同士となりました。そこで「やめておく」というのが、一番いい。もしかしたらそうなのかもしれない。
しかし、個人的な好みを言えば、筆者が好きな「ラブストーリー」はそういう物語ではない。すでに結ばれているふたりが、いかにお互いを思いやれるか、いかに関係を続けて行けるか、つまりはいかに何でもない毎日を送っているか。ラブストーリーで興味を惹かれるのはそういうものが多い。
そこで、本書”Nick and Charlie”である。
主人公はニックとチャーリーだ。そう、「あの」ニックとチャーリー、「Heartstopper」の主人公で、いろいろな障害を乗り越え、常に相手を思いやり、かたい絆で結ばれたふたりである。ふたりはドリームカップルだ。ソウルメイトだ。一生に一度しか出会えないような、特別な、運命の相手だ。ということを、私たち「Heartstopper」の読者は「わかっている」。それぞれが家庭の事情やメンタルヘルスの問題を抱え、決して無傷でないふたりだが、このふたりが恋人同士としてうまくいかなくなる、なんてことがあるわけがない。だってニックとチャーリーだもの。こんなにお互いを好きなふたりだもの。
しかし、そんな読者に「わかっていない」のはたぶん、ニックとチャーリーには「わかっていない」ということなのだ。ふたりにはわかっていない。これから自分たちがどうなるのか。関係がどう変わっていくのか。たぶんふたりが迎える最初の大きな変化――ニックの進学によって生まれる物理的な距離――を前にして、チャーリーはこれからの自分たちの関係に対する不安にとらわれる。不安になることないよ。絶対うまくいくよ。あなたたちなら大丈夫だよ。そう言ってあげたくなるが、その声はもちろん、届かない。ふたりの間には―――信じられないことに――亀裂が入る。
けれどこれは、しょせん運命の相手なんていない、永遠の愛なんて存在しない、どうせ十代の恋愛なんて長続きしない、そういう物語ではない。若く、こんなにも通じ合える相手に出逢ったことがなく、特定の誰かと一緒にいる未来を具体的に考えたことがなかった――この年齢ならばそれも当然のそんなふたりが、ふたりでいる未来を実現しようともがく、そういう物語なのだ。
恋人同士になったところで、「それからふたりはずっと幸せに暮らしました」と物語をしめくくれたらいい。しかし現実は、ラブストーリーはそこでは終われない。幸せな生活は、ただ一緒にいるだけでは、たぶん続けていくことはできない。続けて行こうという意志がなければ、無理なのだ。この「続けて行こうという意志」には、優しさや、感謝や、相手の味方でいることや、いろいろなことが含まれていて、それをひっくるめて愛、なのだろう。ニックとチャーリーの間にあるものはきっとこれであり、だからこのふたりが「ずっと幸せに暮らしました」を実現するところを、筆者は思い描くことができる。
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