ラブストーリーという言葉は、どうしてか、ほぼ「ラブ=恋愛」という文脈で使われているようだ。これは奇妙なことだと思う。だって「本が大好き」というのも「ラブ」だろうし、「おかあさんだいすき」というのも「ラブ」だろう。でもそういうことを書いた物語を「ラブストーリー」と呼ぶことは一般的にはない。不思議だ。
でも、「ラブ=恋愛」を描いているのではないのにもかかわらず、「あたしの一生」はラブストーリーである。愛の物語。それ以外に呼びようがない。
この本のはじめの方で、「あたし」は生後数週間で「あたしの人間」に出会う。と言うと、ん?と思われるかもしれない。「あたし」ことダルシーは猫なのである。ダルシーは言う。「彼女はあたしのしもべ(、、、)。あたしは彼女の女主人」。人間が猫を所有しているのではない。猫が人間を所有しているのだ。この部分からわかるとおり、これは猫が書いた本である。人間や物語に都合のいい存在としての猫ではなく、ほんものの、生きた猫の感情、考え、魂が綴られているという意味において。この本ではダルシーとダルシーの人間が過ごした十余年が綴られる。愛情があり、喜びがあり、悲しみがあり、嫉妬があり、そして愛情がある。一匹と一人の心の通い方、愛しあい方は、エロティックでさえある。
あたしはうっとりしてしまい、前足で彼女の手をつかむ。彼女のひとさし指を口にくわえてじっとみる。うしろ足で彼女の手を蹴ろうとする。そうやって、彼女にくっつこうとするのだ。でもあたしは絶対彼女に傷をつけない。こうしているとき、あたしは愛するあまり、彼女を食べてしまいたいと思う。あたしは自分の目がとろとろにとけるのがわかる。まちがいなく、彼女はあたしのだ。ときどきあたしはこうつぶやかずにいられない。“どこまでがあなたで、どこからがあたしなの?”
二人の人間の恋愛をあつかって、これよりも優しい、これよりも激しいラブストーリーが、一体どれほどあるだろうか。
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