夜になるまえに

本の話をするところ。

フィルポッツを再発見「孔雀屋敷」

 あなたのイーデン・フィルポッツはどこから? と訊かれたら、「小学校の図書室から」と答える。子ども向けの探偵小説全集に「闇からの声」が入っていたのだ。たしか表紙には悲鳴を上げていると思しき子どもの顔が描かれていて、すごく怖い本のように見えた。とっくに死んでいるはずの子どもの叫び声が聞こえてくる、というあらすじも、探偵小説というよりホラーではないか。確かに読んだはずの「闇からの声」については、記憶がおぼろげだ。しかし、確かその本のあとがきか解説にあった、「イーデン・フィルポッツは近所に住む少女に創作のアドバイスを行っていた。彼女こそのちのアガサ・クリスティーである」というエピソードは今に至るまで記憶に残り続けている。ミステリーファンの小学生がたいていそうであるように、クリスティーの大ファンだった私は、そのエピソードを知ってフィルポッツにも興味を抱いたのだったが、たしか当時は「赤毛のレドメイン家」くらいしか気軽に入手できる本がなかったのだった。
 そして今、久方ぶりにフィルポッツを読んだ。本書「孔雀屋敷」はフィルポッツの短編を集めた一冊である。何と言っても白眉は表題作だろう。年老いた名付け親の屋敷を訪れた主人公は、散歩中に孔雀が庭を歩く美しい屋敷で衝撃的な出来事を目撃する。この目撃には主人公の持つ不思議な能力が絡み、更には純粋に偶然によって真相が判明するので、これは「推理小説」とは呼べないだろう。しかし「謎」の物語ではある。それも、真相が明かされた後の展開のもの悲しさ、ラスト一行の切なさが後を引き続ける、心を動かされずにはいられない一編である。謎を華麗に解決することより、「謎」の物語として書くことを優先したという意味では、残酷な領主に逆らったため地下牢にとらわれた男の物語「ステパン・トロフィミッチ」もこの系譜に連なる作品と言えるかもしれない。
 推理小説らしい推理小説としては三人の死者の性格を分析することで死の真相を解き明かす「三人の死体」があるし、自らの意志にかかわらず特定のものに執着してしまう男を描いた「鉄のパイナップル」は人間の奇妙な心理を描いて異様な熱を帯びている。そしてどの短編にも見えるのは、時に謎への興味を上回っているように見える、人間というものに対する興味である。そのような作家としてフィルポッツを再発見することができた、充実の一冊である。

※「ボルヘスはフィルポッツをほめていた」という情報をキャッチして「ボルヘス推理小説」(垂野創一郎 編・訳、エディション・プヒプヒ)をあたってみたところ、「極悪人の肖像」(熊木信太郎訳、論創社)評を発見。これも読まねば。

 

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