いろいろな泣き方をする人がいる。
ただはらはらと涙だけを流す人、悲しみを外に出してしまおうとするかのように声を上げる人、顔を赤くして、鼻水を流して、ひとりで、誰かに慰められながら、人は泣く。
この小説を泣く人にたとえるとしたら、どのように泣く人だろうか。
泣きたいだろう、と思う。叫びたいだろう。この小説に描かれているような出来事が我が身に、家族に降りかかったなら。
でも、この小説はおそらく、泣き叫ぶ人ではない。号泣するのではなく、ただ静かに涙だけを流している。囁くような声で、まるで何も感じていないかのように、中空から目撃したことを一つ一つ報告するかのように、淡々と文章は綴られる。だからこそ彼らの身に起こったことは、いっそむき出しの傷を、そこから流れる赤い血を見せつけられるよりも、「痛い」。
二百ページもないこの本は、あまりにも深い悲しみを湛えている。描いているのはある時代ある国で本当に起こった出来事だけれども、この悲しみはきっといろいろな時代いろいろな国で繰り返されてきた数知れない悲しみでもあって、この本を読むことで、それを経験してきたいろいろな人々と一緒に泣くことが、私たちにはできるのだと思う。
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