夜になるまえに

本の話をするところ。

笑えない現実を笑わなければ「すこし痛みますよ ジュニアドクターの赤裸々すぎる日記 」

 私は笑う。先輩医師が赤ちゃんの母親にかけたほめ言葉を自分が言われたのだと勘違いするくだりで。
 私は笑う。食事を共にした祖母に顔を拭われた時、それが患者の血だと気づきながら黙っておくことにするところで。
 私は笑う。なくなったガーゼをみんなで血眼になって探していたところ、生まれた赤ちゃんが握っていたことが判明し、そこに赤ちゃんの父親がいることに気づかずに看護師が「クソ生意気な泥棒猫め」と言ってしまう話で。
 私は笑う。そもそも献辞からしてここまで乾いたユーモアにあふれた本はなかなかない。著者のユーモアはするどく、容赦ない。著者が実際に医師として働いていた際に遭遇したエピソードの数々に、私は笑う。レイシストの患者への「やらなかった」復讐、患者の体から取り出さなければならなかったとんでもないもの、患者たちの困ったこだわり……
 そして私は笑うことをやめる。
 この本は間違いなく笑える本だ。けれどここに書かれているのは、決して笑えない現実だ。給料は安い。仕事は忙しい。自分の具合が悪くても簡単には休めない。穴埋めのため、自分のシフトが終わった後に更に十二時間、無給で働かなければならない。二週間の休暇の真ん中に、代わりが見つからないから出勤してくれと言われる。疲労のたまった体で手術に臨む。忙しさのために友人や恋人との関係が壊れていく。時に患者は死ぬ。
 ところどころにはさまれる、人の死について、近く死を迎えると知った人びとについての文章は真摯だ。笑うことのできない、そして真剣に考えすぎてしまえば耐えられなくなってしまうであろう物事が、世界にはある。著者アダム・ケイにとって、ユーモアがそういう物事と向き合ってどうにかやっていくための手段であっただろうことは想像に難くない。この本が非常に笑える本であることそれ自体が、恐らくは何かを物語っている。ここに描かれているような生活を送っていた時、著者はきっと、笑えないことを笑える何かに変えることなしには、その生活を続けることができなかったのだ。

 

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