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ピーター・スワンソンの作品が翻訳されるのは本書で五作目、と解説にあり、「もうそんなになるんだなあ」と感慨にふけった。「そしてミランダを殺す」が話題になり、手に取ってからはや五年である。「そしてミランダを殺す」を読んだ時、惹きつけられたのはその「読みやすさ」を超えて「読まさずにはおかない」読者を先へ先へと運んでいく力強さだった。翌年刊行の「ケイトが恐れるすべて」を読んで、この力強さはこの作家の個性なのだと知った。読者の興味をひっつかんで離さない握力の強さよ。この強さは本書「だからダスティンは死んだ」でも健在である。
新居に移り住んだばかりの女性ヘンは、新しい隣人の家に招かれた時、部屋に飾られていた置物に目を留める。それは数年前に起きた殺人事件の被害者ダスティンのものでは? 隣人夫妻の夫マシューが殺人事件の犯人なのではという疑惑を抱いたヘンは、彼の行動に目を光らせるようになる。
……という冒頭からつかみは十分。「身近な人間が殺人者なのではと疑う者」「殺人の疑いをかけられた者」の間に生まれる攻防はしかし、ここから一筋縄ではいかない展開を見せる。その展開を生むのは、スワンソンのもう一つの魅力である、闇を抱えた人間の描き方だ。スワンソンが書くと、独自のルールに従って行動し、時に社会における「普通」の枠から外れてしまう彼らに、どうしようもなく共感を覚えてしまったり、魅了されてしまったりする。うれしいことに、本作も例外ではない。ヘンもマシューも後ろ暗い所のない清廉潔白な人物ではまったくないのだが、読んでいるうちに、彼らの「ふつう」が守られるよう、祈ってしまいたくなった。これだ。私がスワンソンを読む目的は、これだ。普段目にすることのない、暗い世界に生きる人物とともに、ひと時のサスペンスを味わうこと。
本書は、そういうものを読みたい人にぴったりの一冊であること間違いなしである。そしてこれからもスワンソンがそういうものを書き続けていくであろうことを、疑う理由はない。今年出る予定のもう一冊の翻訳を、私は今から楽しみにしている。
こちらはスワンソンの未邦訳作品の紹介です↓