夜になるまえに

本の話をするところ。

よくしゃべるが語らない小説「アイスネルワイゼン」

主人公はピアノ教師である。三十代、経済的に豊かではなく、どうも恋人との間には問題があるようで、更には親との関係もよくないらしい。主人公は旧友に頼まれた歌手の伴奏の仕事をしぶしぶ引き受けるが、そのためにさんざんな目に遭う。その後友人の家に行き食事をする。そして……
 あらすじにしてみれば、「アイスネルワイゼン」はこんな話だ。しかしこの小説の魅力はおそらくは、こうやってあらすじにできない部分にある、と思う。
 よくしゃべる小説だ。ここに書かれている会話には、まるで現実に交わされている会話をそのまま録音して文字に起こしたようなリアルさがある。こういう感覚は、なかなか真似のできるようなものではない。主人公のいやなところも、旧友小林のいやなところも、会話を聞いているとまるわかりである。たとえふたりに似た人を実際は知らなかったとしても、いるいるこういう人、と思ってしまうようなリアルさだ。そして、よくしゃべるにもかかわらず、同時にこれは語らない小説でもある。たとえば主人公はなぜ前の仕事を辞めた、あるいは辞めざるを得なくなったのか、は、はっきりとは語られない。にもかかわらず読者は、そのことを直接的に語っているわけではない言葉でわからせられてしまう。
 そうやって、時にはっきりとは語られないながらも、主に主人公といろいろな人との会話が浮き彫りにするのは、友人にも、恋人にも、親にも、誰にもすがることができず、金はない、仕事は不安定、一生懸命になれるようなことがあるわけでもない、そんなありきたりな絶望である。少しずつ少しずつ積み重なって主人公を押しつぶしていくフラストレーションが、ひりひりするくらいリアルだ。

 

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